okadada Interview
Text & Interview : Keita Takahashi
2018年9月29日。今年で14周年を迎えるUNITのアニバーサリー・パーティーにオープン・トゥ・ラストのDJを任されるのは、滋賀県出身、現在32歳のDJ/プロデューサー、オカダダ。これまでも大阪心斎橋のクラブ、STOMPにて5年連続でロングセットを敢行してはいるものの、東京での開催は自身にとってはじめてのこと。この機会にオカダダにロングセットへの意識、東京に拠点を移したことによる心境の変化、そしてDJを職業にするということがどういうことなのか、率直な質問を投げてみる。本稿でも語っている通り、当日はなにかしらの期待感を胸に、肩の力を抜いて彼のロングセットを楽しんでもらいたい。
オカダダロングセット奮闘篇
まず最初にこれまでのロングセットを振り返ってみようと思います。ロングセットは2014年、STOMPでの開催がいちばん最初?
「そうです。原田大二郎のフライヤーのやつ」
そもそもはどういった経緯で?
「自分から持ち込んだ企画ですね。やっとかなあかんなと思ったんですよ、ロングセット。DJって上手くなったかどうかわかりづらいじゃないですか。それを最初に思ったのは、2014年にムードマンさんといっしょにDJさせてもらったときで。“こんなに差があるのか”と思いましたね。それまでは漠然と“すごいなぁ”くらいに感じてたものが、自分が経験積んできたからかわからんけど、なにがすごいかわかってきた気がしたんですよ」
当時に感じたムードマンさんとの差って、具体的にどういうところだったんでしょう。
「音響とか鳴り、みたいなところですね。自分なりには考えていたのかもしれないけど、その部分の差をまじまじと見せつけられたというか。共演してみて、自分がいかに音響をコントロールできてないかってことがよくわかりましたね。勢いで乗り切る、みたいなDJも嫌いじゃないんだけど、それだけじゃおもしろくないよねという」
その経験を通して、ロングセットで自分を試してみようと。
「そうですね。あとは自分らの世代でひとりで一晩、みたいなことをしてるDJもおらんかったから……そもそも求められてるのかもわからんし、自分のなかでも必要だったのかわからんから、とりあえずやってみようと。STOMPはそんなに広い場所でもなかったんで成立はするでしょという気持ちもあったんで」
STOMPのキャパはどれくらい?
「100人も入ったらパンパンなんじゃないっすかね。で、初回は80人くらい入ったんちゃうかな」
初回のロングセットはどんなことを考えながら臨んだんでしょう。
「とりあえず6時間乗り切る。ちゃんとパーティーとして成立させる。それに加えて、普段できひんことも試してみようって気持ちはありましたね。ただ、3時間くらいのセットまでだったら自分のなかで予想つくところあるじゃないっすか。でも6時間となると自分でも想定してないところまでいく可能性がある。その可能性の幅を狭めないように準備していったと思います」
で、実際に初回のロングセットを終えてみて。
「友達がよう来てくれてたなってのは覚えてます。ワイワイしてて楽しかった。プレイに関してだと、23時にオープンして、深夜1時くらいまではBPM110は超えなかったっすね。やってみてわかったのは、いざ自分ひとりでやるとなると意外とゆっくりめに展開していくんだなぁってことかな。ノンビートからはじめて、ソウルとかサイケロックとかかけつつ、だんだんとBPM90くらいの曲に向かっていく感じで、2時間過ぎてもハウスとかにはなかなかいかなかった。そういう自分のペースみたいなんは、やってみてはじめてわかりました。あ、あと覚えてるのはOmar-Sの“I Wanna Know”をかけたときにめっちゃ盛り上がったこと。フロア見たら、普段あんまり声あげない友達が歓声あげてておもしろかったっすね」
この日のプレイに自分で点数をつけるとするなら?
「うーん、むずかしいなぁ……。100点の基準もわからんからあれですけど、50点くらいなんじゃないですか。反省点としては立ち上がりが遅かったってことっすね。もっと早いタイミングでハウスのBPMに持ってってもよかったかなと」
STOMPでは2014年から毎年ロングセットをやってますが、客層の変化は感じたりします?
「フロアにいないからわかんないんですよね。フロアを見てはいるけど、DJブースで感じる空気とフロアで感じられる空気って違うじゃないですか。正直、なにを楽しみに来てくれてるのかわからないって部分もある」
さきほど言っていたOmar-S“I Wanna Know”のように、ロングセットやるごとに印象的だった曲も教えてもらおうかなと思っていて。
「あんま覚えてないんですけど、去年だったかな。朝6時くらいにHouse Of Houseの“Rushing To Paradise”ってあるじゃないですか。あの曲をかけて。13分くらいある曲やから、フロア降りて、残ってくれてるお客さんと“イェーイ!”みたいな。あれは楽しかったな」
「あと、2年前のときはJoe T. Vannelliの“Sweetest Day Of May”をどっかでかけようっていうのがテーマとしてありましたね。それはディスコのノリで楽しくやりたいってのがあったからなんですけど。曲ではないけど、自分のなかでのテーマはあったりするんすよ。“何時に冷や水ぶっかける”とか(笑)。でも、毎回そんなこと考えながらも自分が予想してないとこまでいきたいとは思っていて。だからあえて毎回のテーマを挙げるとするなら“自分の予想を超えたとこまでいきたい”ってことですかね」
毎回、どんな準備をしてロングセットに臨んでるんでしょうか? 曲の準備はもちろん、メンタル的な部分での調整も含めて。
「これがね……毎回わからんのですよ(笑)。結局、普段やってるDJとかの延長でしかないような気はしてるんですけど。毎年ロングセットやってて思うのは、突飛なことをやる必要はないなってことですね。特別な機会だからって普段しないことをして、いい方向に転がったことはないかな」
それは具体的に失敗とかがあったということ?
「失敗というか、こうしたらよかったなぁみたいなことは考えるんですけどね。毎年ロングセットは録音していて、あとでぼんやり聴き返したりして、いろいろ考えるんですけど、次の年にその反省を活かしたことはほぼない(笑)。当たり前ですけど、やってるときの自分と聴き返してるときの自分は違いますからね」
客観的に自分のミックスを聴き返してみて、プレイの精度が上がってくる時間帯とかあったりしましたか?
「うーん、特にそういうのはなくって、それはある意味でずっと集中できてるのかなとは思うんすけど。ただね、DJ終わったあとに“やっぱりDJ上手いですね”って言われたりして、そうやって褒めてもらうこと自体はありがたいんですけど、反面、“DJ上手いですね”って言われるだけじゃあかんなぁって感じましたね。ほかに魅力なかったんやったらダメやな、みたいな」
そつなくこなしてる、みたいなことでもありますからね。
「そうそう」
これも訊いておきたいんですが、2014年から計5回のロングセットを経て、自身のなかで長い時間DJをすることに対しての感覚の変化はあります?
「これはロングセットあんまり関係ないっすけど、年々曲をつなぐポイントが遅くなってるなと思ってて。もともとヒップホップやってたからポンポンつなぐのに慣れちゃってたんですけど、それがここ3〜4年で当時から比べたら16小節くらい遅くなってると思うんすよね。しかも、そっちのほうが反応いいこと多くて。たしかに2時間以上のセットの場合はその性急さは邪魔やなと思うことがありますね。そのせいかわからんけど、最初は意外と短いって思ってたんですよ。でも最近は意外と長いかもって気持ちになってるっすね」
時間感覚の話でいうなら、ロングセットならではのランナーズハイならぬDJズハイみたいな感覚もありますよね。
「ありますよね。4時間以上のセットだとそういうことも感じます。変なことが起きるのって狙えないじゃないですか。狙ってやるっていうのも違うし。でも実はこれまでのロングセットでそういう変なこととか、とてつもないことが起こるって意外になかったんですよ。ただワクワク感というか“とてつもないことが起きそう”みたいな雰囲気だけは持っておきたいというか。“なんかあるかも”とは思ってたい。STOMPで5回やったけど、今回は東京ではじめてやし、場所も広いぶん、ワクワクはありますけどね」
いまの段階でUNITでのセットはどんな感じになると想定している?
「和やかにしたいですね。単純に楽しんでもらいたい。腕を組んで目つぶって“……うん、すごい……”みたいな感じは音楽の楽しみ方としていい状態とはとても思えないんで。ラフに楽しんでもらいたいですよ」
細かい話になりますが、データのブラウジングについても教えてください。長時間のセットの場合、探しやすくするためにもかける曲の分類をしっかりしないといけないんじゃないかなと思うんですが、データの場合、どんな形でファイル分けしてるんでしょう。
「最初のほうにかけるやつはしっかりめにまとめてますね。序盤以降にかけたいものは音の硬軟、生音系、ディスコ、みたいな感じで、5〜6つくらいのフォルダに分けてます。データは全部でだいたい500曲くらい用意していくかな。その年によくかけた曲を中心にピックして、それに加えてレコード持っていくという感じ。レコードはやっぱり視認性という意味でチョイスしやすいですから、後ろに置いて“あと30分くらいデータでやって、このレコードかけよ”みたいなのができる。あと、選曲作業しててよく思うんは、7時間くらいやってても結局かかるのはせいぜい120〜130曲くらいじゃないっすか。それ考えたら急に“クラブで曲かかるのいいな”って思えて。これだけ用意しても限られた曲数しか聴けないんだからかかる曲ってすごいんやなぁと」
音響的な面に関してはどう考えてますか?
「最近のモードだと軽い音のイメージがいいなぁと思ってるんで、そんな感じでできたらと思ってますけどね。エレクトロとか芯だけあるキックの音色とか、そういう曲を中心に、全体の低音の分量でいったら軽めな感じというか。自分の趣向もタイトで抜けのいい音が好きになってきてるので。ローファイかハイファイで言ったら……ハイファイな感じってことになるのかなぁ。端的に言ったら、タイトでいいとこ突いてる感じが出せたらと思うんだけど。かつ聴きやすい感じ。今年、Mr. Tiesと恵比寿のBATICAでいっしょだったんですけど、オープン前の音出しのときに“音が大きすぎる”って言われて。片方のチャンネルだけしか音出してないときにヘッド(音量の上限)までいかないようにしたほうがいいと。もう片方も音出てる状態のときにヘッドいくくらいで、片方だけのときは音量のゲージでいったらヘッドから2個くらい下げめでかけたほうがいいって言ってましたね。ある程度の余剰を残して曲かけて、ミックスするときにヘッドにいく感じ、ってことだと思んですけど。彼も昔よく言われたらしくって。そういえばヘッドのことに関していままで考えてなかったなと。実際、その日のMr.TiesのDJは出音すごいよくって、めっちゃ気持ちいい感じでしたね。それ以降、けっこうPAさんともイベント前の段階でいろいろ相談させてもらってます」
では、オカダダさんがフロアで踊っている側としてベストに感じるのはどんなときでしょう。
「単純にDJがよくて、そのDJが考えてることがおもしろいなと感じられるときっすかね。前々回のAUDIO TWO(CIRCUS TOKYOにて開催されているオカダダとDJワイルドパーティーによるレギュラーパーティー)で鎮座ドープネスさんにゲストDJで出てもらったんですけど、勝手ながらこんなに趣味の合うひとはひさしぶりやなって思ったんすよ。かかってる曲全部好きな曲で笑顔が止まりませんでしたね。あと楽しかったのは幡ヶ谷のFORESTLIMITで見たspeedy lee genesisさんのDJ。めっちゃ感動したっすね。あんまりビートからものを考えないというか、コードワーク主体でDJしている感じ」
翻って自分に置き換えてみると、オカダダとはどんなDJなんでしょうね。
「いやぁ、コウモリ野郎じゃないですか(笑)。なんでも大好き、って感じ。でも実際そうやから変えようがないんですけど。ひとつのジャンルに身を捧げられないんですよ、ぼくは。ストイックにひとつのジャンルを求道するの、めっちゃあこがれますけどね。ただ、そういうのはね、早い段階であきらめてた。作品を作るみたいにDJできるひとはうらやましいですね。自分はその意味でコミニュケーション型というか。しゃべってるみたいにDJしてる感じがしますね。話のネタはたくさんあるんやけど、言ってることは全部いっしょなんやでっていう。まぁ、それが他人にどう思われてるかはわからないっすね。それに自分がいまから“ハウスDJでござい”みたいな顔してやるのは、ずるないっすか? 散々いろんなジャンル食べ散らかしてるんで、そこはいろんなジャンルの曲かけるDJとして引き受けなきゃなという感じはあります。あと、単純に飽き性なんでね」
個人的な印象として、オカダダさんは自分がやっているDJと人間性をイコールにしたいひとなのかなと思っているんですが。
「あぁ、そうですね。結局、そのひとの感じがDJに出てるのが好きなんですよ。そのひとがなに考えてるのかわかるDJみたいなんはいいと思いますね。DJを通して“そんなこと考えてるんや”みたいなのがわかるとだいたい興奮しますし。だからロングセットも自分のことをわかってもらうみたいなところでやってる部分はあります」
オカダダ東京争闘篇
この1年で大きく変わったことのひとつに大阪から東京に生活拠点を移したということもありますね。東京に越してきて1年以上経ちますが、そもそも上京のきっかけはなんだったんですか?
「環境を変えたいってのはあったんじゃないですかね。30歳までに東京行かんかったらもうずっと大阪なんちゃうかなと思ってたから。出身は滋賀なんで、そもそも大阪も地元じゃないんですよ。だからそこまでの思い入れもなく、東京行けるうちに行っといたろと。ひともたくさんいるし。それくらいの感覚っすね」
どうですか、東京生活は。
「仕事面では幅が広がったと思いますよ。これまで呼ばれなかったようなイベントにも呼んでもらったりしますし。生活面では……電車乗るのダルいっすねぇ。大阪住んでるときはだいたいチャリだったんで。クラブ行くのにもチャリ。東京だと外出するとなると電車乗らなきゃいけないこと多いですもんね。それ、めっちゃめんどいっすわ」
精神的な部分での変化はありましたか?
「あんまり変わってないですかね。東京に来たから変わったことより、年取ったから変わったことのほうが多いと思います。疲れやすくなったとか。シンプルに老いてきてますよ。でもそれってプレイ中の反射神経とかに関わる問題なんで、実際DJへの影響もあるんじゃないかなと。昔だったらレコードバックに雑多に入れてても反射神経でなんとかなってた気がするんですけど、だんだんそれがままならなくなってる。ついつい選びやすい曲選んじゃってる、みたいなね。だから反射のスピードが落ちてるぶん、そこに頼らないDJの方法に向かってる感じです」
そこに頼らないDJの方法、というと?
「これわかりづらいんですけど、自分のなかで引っ掛かりやすいフックをガンガン作るって盛り上げていくってラインと、そうじゃない感じでわかってもらうっていうラインの2種類があって、それをテレコにしていくみたいな感じなんですけど……これ、わかります?」
いや、ちょっとむずかしい(笑)。
「そうでしょうね(笑)。自分でもちょっと言語化むずかしいんで。とにかく、これまでの若さで押し切るみたいな方法論は肉体的にきつくなってくるので、そのあたり試行錯誤してるって感じです」
そういえば“疲れが取れにくくなった”というのは前から言ってますよね。
「週末2本とか3本DJやるじゃないですか。そうすると火曜日くらいまで頭働きませんもんね。で、やっと回復したなと思って、また週末のDJのこと考えるってスケジューリング」
オカダダDJ立志篇
ちなみに、自分の肩書きはトラックメイカーとDJ、どちらのほうがしっくり来ますか?
「それはDJでしょうね」
DJとしてメシを食う、みたいなことに関してどの時期くらいから意識してます?
「うーん……たまたま(ギャラを)もらえたからやっていけてるんであって、確固たる決意があって、という感じでもなかったですね。とはいえ、もちろんお金をいただいてるからには、ということで変わった意識はあって。17歳のころにはじめて人前でDJしたんですよ。滋賀の石山ってとこで、友達に呼んでもらった学生イベント。そのとき楽屋でイベントのフライヤーを何気なく見てたら“エントランス料金1500円”って書いてあって。自分が曲選ぶだけで1500円の価値があんのかって思ったらめっちゃ恐くなってきて。その意識はいまだにあるかもしれないっすね。ギャラをもらってるからというより、お客さんはお金払って来てくれてるんやからそのぶん楽しませなきゃいけないなって意識。その意味では17歳のころから変わってないと思うんですけど」
最初からある種のプロ意識みたいなものはあったと。
「だと思いますね。あと“プロ無職”みたいなことふざけて言ってた時期があって。でも26〜27歳くらいのころにDJで生活できてるなって思った時期に、そういうの言っちゃうことは失礼なことやなと思ったんです。自分のなかでDJで食ってるという意識はそれより前にもあったけど、対外的に“職業はDJです”と言うようにしたのはそのあたり」
ちなみに大学時代は就職活動も?
「普通にしてましたよ。ただ大学4年の12月ごろになっても全然就職決まらなくって。そんで大学も半年留年してしまい、一度実家に戻るんです。で、そのタイミングでMaltine Recordsのやつらと会ったり、Ustreamの配信とかで名前が上がってきたんですよね。大学は9月に卒業するんですけど、そのタイミングでリミックス仕事の依頼が来たりとかして。で、“これだったらバイトしたりしながらDJ続けてみようかな”と思って、また大阪に戻ったという感じ。そういうのが続いて現在、という感じでしょうか」
なるほど。バイトをやってた時期は?
「いや、とはいえ大学時代くらいですね。卒業して大阪戻ってからはしてないっす。DJのギャラだったり、現場でミックスCD売ったり、Tシャツ売ったりでなんとかやってこれてます。まぁ、極貧生活でしたけど、苦ではなかったっすね。美談でもないですけど。平日は家いて、音楽聴いたり、ネットしたり、本読んだり、友達と遊んだりして、週末はDJして。家賃3ヶ月くらい滞納したりとかして金はなかったけど楽しかったっすねぇ」
DJを職業にすることの苦労はどういうところだと思いますか?
「毎回“うわぁ!”って思わせることのむずかしさですかね。人間って慣れちゃうじゃないですか、刺激に。自分としても100%の確率でそれはできないとしても、このオカダダというDJは“うわぁ!”って思わせられるDJなんだという余地は毎回残しときたい。そのために毎回の自分のDJをなあなあにしないようにする。“これやっときゃ盛り上がるっしょ”みたいな考え方は終わりのはじまりだと思うんで。自分、ベタな大ネタって大好きなんですけど、そういう曲もベタに聴こえないようにかけるようにしたり」
それも“なあなあにしない”上での配慮ですね。
「要は常にアイデアを提案したいってことなんですけど。そのためには新しい曲聴いたりしなきゃいけないんで。それが苦労っちゃ苦労なんですけど、べつに全然つらい作業ではないですね」
そういったこと以外に自分が思うプロDJとしての矜持はありますか?
「“わかりやすく伝えるってことはハードルを下げるってことではない”ってのは肝に銘じてます。敷居は高くていいから門戸は広げときたいんですよ、自分のなかの意識としては。というか敷居が高いとか低いとか自体もどうでもいいというか。それやりだしたらキリないじゃないっすか。たとえばノイズかけたら難解で、ハウスかけたらわかりやすいとか、そりゃ一定の事実としてはあるんでしょうけど、“それホンマか?”とも思ってるんで。まぁ、こればっかりは個人の価値観なんでなんとも言えないですけどね」
じゃあ、若いひとが“DJで食っていきたいんですけど、どうすればいいですかね?”って来たらどんなアドバイスをします?
「“がんばれがんばれ!”って感じじゃないっすか? それくらいしか言えることないっすよ。“酒おごったるわ!”とか?」
それはアドバイスではないですね(笑)。
「でもほんまそれくらいしか言えないっすね。あと、こんなこと言うのはあれなんですけど、DJやりながら仕事するでもいいやんとも思いますし。音楽に身を捧げるって、ほかの仕事しながらじゃできないことでもないでしょ」
それはまさにそうだと思いますね。ではオカダダさん自身の話に戻って、自分の5年後、10年後とかの長期的な展望とかってありますか?
「これもそんなにないんですよね……。苦手なんですよ、そういうの。だから今年はこのひととDJしたいなとか、そういう短期的なものしか考えられないっすね。DJのスタイルに関しても、今後大きな変化とかもあるかもしれないけど、いまのところは考えづらいですし。たまに“ハウスだけかけたほうが海外とかにもっと受けるのに”とか言われるんですけど、それに対しては“知らんし”としか言えないっすね。外人に褒められるためにDJしてるわけじゃないんで。そういう世間一般の評価軸みたいなもんに、どうしても興味持てないんですよね。申し訳ないけど、本当にどうでもいい」
さて、そろそろインタビューも締めに入るんですが、今日話してくれたことを踏まえて、ロングセット当日の意気込みを伺いたいと思います。
「多少なりともオカダダのロングセットに期待感を持ってくれてるなら、それはうれしいですね。実際ぼく自身もどうなるかわかんないんでワクワクしてるんで。精一杯やろうと思ってます。あ、あとひさびさに物販でオカダダロゴTシャツも売ろうと思うんでよろしくお願いしますって感じっすかね。まぁ、こういう規模感で次をやれるかもわかんないんで、とりあえず気楽に遊びに来てもらえれば」
EVENT INFORMATION
UNIT 14th Anniversary
okadada
- Open to Last -
2018.09.29 SAT
DJ (Open to Last ) :
okadada
PA:
Naoya Tokunou
LIGHTING:
Machida(LSW/Block Party)
FOOD:
SKEEMA